祖父のこと。

e0129113_11103015.jpg

植村花菜さんの「トイレの神様」を昨年末のレコード大賞と紅白歌合戦で聴いて
自身の思い出と重ね合わせてる人が多いんじゃないかなと、思っています。

実家の母も、この曲を聴くと母のおばあちゃんを思い出すと言っていたけれど、
私は、小学校6年生に私たち家族が父の地元湯河原に引っ越してから
高校生まで一緒に暮らした祖父の事を思い出すのです。

父方の祖父は、ご近所さん誰もが「頑固な爺さん」と言い、声が大きくて(笑)
私も一緒に暮らすようになるまでは、ちょっと怖い存在だったんですよね。

だから、カメラが趣味だった祖父が孫たち全員を集めては家の前の港に
「写真を撮るから、全員横に並べ」
って言われて連れて行かれても、なんだかちっとも楽しくなくて、
誰も笑っていない写真がたくさん残っている。

祖父と一緒に暮らすようになった最初の一年、私がまだ小学校に通っていた時
甘いものが大好きな祖父はよく、近所の公園によもぎを摘みに行って
母に、あんこたっぷりのよもぎ餅を作ってもらっていたなぁ。
当時庭にあった、八重桜の花を横に盛り付けるのが私の役目ですごく好きだった。

いわゆる“思春期”と呼ばれる時期を祖父と一緒に過ごした私は、
3歳年下の妹にはとにかく「甘いお爺ちゃん」の祖父が、なぜか私には
毎日のように「しっかり勉強しろ」って言って、肩をポンって叩かれるのが
本当に、本当に、本当に嫌で、
どうして私は優しくしてもらえないんだろ?とか、思っちゃって
祖父にも生意気な事をたくさん言ってしまったように思う…。

高校1年生の冬に祖父が亡くなった時、初めて身近な人の「死」を経験して
(他の祖父母は私が幼い頃に亡くなったので)
いつも一緒に暮らして居た人がいなくなってしまって、
朝早くから聞こえる、ご先祖様のためにあげるお経が聞けなくなったことや
耳の遠い祖父が大音量で見ているテレビの音が聞こえなくなって、
悲しいというより、なんだかとても寂しかった。

大人になって今、思うのは「優しくしてもらえなかった」なんて言うのは
100% 私の勘違いだっていう事。

中学生の私が部活(バスケット)の試合で骨折をして帰ってきたら
「骨折した時にすぐに病院に連れて行かなかった学校は、ケシカラン!!」って
大激怒してくれたし。

月に1回くらい、平塚の病院に通院してた祖父が帰りに駅前のファーストキッチンで
「孫の為に、このお店で一番美味しいハンバーガーをくれ」って
毎回、月見バーガー買ってきてくれていたし。
今思うと、電車の中すごく匂ったんだろうなー(笑)

それから、
音楽の大学に進みたいと言った私にグランドピアノを買ってくれたのも祖父だった。

祖父と一緒に暮らしたのは、約5年弱だったけれど、すごくすごく
私たち家族を大事にしてくれていたんだと思う。

もっと、カメラの前で笑ってあげられればよかったし、
勉強も頑張るよって、ちゃんと言ってあげられればよかった。

今、祖父が居てくれたら同じ趣味を持った私と一緒にどこかに
写真を撮りに行きたいな、って叶わない夢を描いてみたりする。

後悔の気持ちのほうが強いけれど、祖父を昔からよく知るご近所さんたちから
「孫と一緒に暮らすようになってから、すごく人が丸くなった」って
言ってもらえた事がありがたい。

私にはもう一人祖母が今も元気に居てくれる。
他の3人の祖父母に出来なかった分、祖母の事を大事にしていかないとって
新年改めて感じたのでした。

写真:2011年1月2日の湯河原。
[PR]
by tkhsaya | 2011-01-06 11:14 | 日常


<< 栓抜き。 2011 初走り。 >>